not 趣味の問題
(via yaruo)
不良「どこ見て歩いてんだテメェ!!」
俺「夢見て歩いてんだよ!ウラァ!!」
不良「叶うといいなぁ!コラァ!!」
_人人人_
>いい人<
 ̄Y^Y^Y^ ̄
(via deli-hell-me)
(via deli-hell-me)
(via deli-hell-me)
もう20年近く前、私が未熟な17歳の少年だった頃のことです。当時私はヘヴィーメタルが大好きで髪を腰まで伸ばし金髪に染め上げ、毎日を淫らに過ごしておりました。
そんなある日の事、ライブ帰りに打ち上げをしてビールを2、3杯飲み(違法です)原付バイクにまたがり(違法です)楽しい気分で帰っていたのですが、赤信号の点滅を一時停止せずに突っ切ってしまいました。午前2時頃だったでしょうか、人気の無い交差点です。案の定というか隠れていたパトカーに追いかけられ捕まってしまいました。
パトカーに連れ込まれ一時停止をしなかったという事で何か書類に記入していたところ、若い方の警官が私の息の匂いに気付きました。「お前、酒臭いな」。ヤバいと思いました。未成年の飲酒運転、馬鹿な未熟な人間でも焦ったのは言うまでもありません。とりあえず否定しました。しかし呼気検査の結果どうやら酒気帯び運転のレベルが検知されました。
私はとにかく否定しました。息が臭いのはさっきたっぷりのニンニク入りラーメンを食べたからだとか、訳の分からない言い訳をしていたのを覚えています。一時間近く若い警官と押し問答を続けていました。その間もう一人の年を取った警官は一言も発しませんでした。私が押し問答に疲れきって白状しようかと考えていた時、突然沈黙が訪れました。何かの合図があったのではないでしょうか。
それから警官達は一言も喋りませんでした。暇だったのでしょうか。沈黙はあの時の私にとって最大の苦痛でした。そしてしばらく経った後、年を取った警官が言いました。とても小さい声でした。「そろそろ本当の事を言ったらどうだ」。しかし私はあの頃とても馬鹿だったのでそれでも否定しました。「飲んでない」。やけくそでした。すると若い警官が言いました。「署に連れて行って血液検査をするぞ」。それでも私は言いました。「いいよ、飲んでないから」。この時私はもうどうでもいいや、という気持ちになっていたのは言うまでもありません。
すると年を取った警官がぼそりと言いました。「お前みたいな奴は初めてだ。今日自分が取った行動をお前は一生記憶していく事になる。それをどう思うかはお前次第だ。今日我々は一時停止だけの罰則を適用するからもう帰ってよい」。正直びっくりしました。てっきり警察署に連れて行かれると思っていたのにあっという間に自由の身になりました。
気がつくと午前4時をまわっていました。
警官としてはやってはいけない事をしている、部下もいる、しかも未成年の飲酒運転という馬鹿な行為を見逃した、家に帰ってから、私はあの年を取った警官は何を考えていたのだろうとずっと考えていました。あれ出来事以来私の中で何かが変化したような気がします。
あの時の年を取った警官が只疲れていたから私を自由の身にしたのかもしれない、本当の理由は分かりません。しかしあれから20年近く経った今もずっとあの人の事、そして言葉をたまに思い出します。はっきりしているのは私にはあの人が警官ではなく人間の顔をしていた人に見えた、それだけです。
長々と失礼しました。
逮捕する | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日 (via odakin)(via deli-hell-me)
長いあいだ英語人をやっていると「英語世界」の軽薄さにうんざりしてしまうことがある。なんというか、底が浅いというか、聖書と不動産契約書の区別がつかないような文明全体のタッキー(tacky)さに嫌気がさしてくる。
昨日、一緒にツイッタの井戸端で遊んでいたひとたちは一緒に観ていたことになるが、アメリカやイギリスのポップスを聴いたあとで、スペインのポップスを聴くと茫然としてしまう。
スペイン語人たちが見ている世界の「深み」に嫉妬の気持ちが起こって、コンピュータをぶん投げたくなるが、ここでぶん投げると、またマーケティング上手の「ぼく環境問題に関心があるんですよねー」なケーハクセールスマンのようなAppleを不必要に儲けさせることになるので、ぐっと思いとどまって、気を落ち着けてビデオを見直すと、声の出し方といい、身体の動かしかたといい、「細部への情熱」が桁違いなのが見てとれる。
「パッと見」はどうでもいいと思っているのが手にとるように判る。
「あっ、かっこいい」と思っているときに見ている視線の先にあるものが英語人とはまるで異なるところにある。
もうなにしろ30歳のジイジイになってしまったので、年をとっただけなのかも知れないが、結局、文明なんちゅうものはイタリアとスペインと、あとはせいぜいフランスとトルコと、そのくらいにしか存在しないのではないかと思ってタメイキをつくことが多くなった。
レオン
http://ja.wikipedia.org/wiki/カスティーリャ・イ・レオン州
の田舎の砂漠のまんなかの食堂で、この世のものとはおもえないくらいおいしいタコのカルパッチョが出てきたのは前にも何度か書いたことがある。
そのときに、なんか食後酒でおいしいものはないかなあーと考えて聞いてみたら、
「これ、この辺でつくるリキュールなんだけど、飲んでみない? おごるよ」
ともってきた黄色のリキュールを飲んだら死ぬほどうまかった。
海から遠く離れた赤い砂が延々と続く砂漠のまんなかでおいしいタコのカルパッチョが出てくるのもヘンだが、都会の喧噪から軽く800キロは離れた町のなかにすらない(何度も繰り返して悪いが)ド砂漠のまんなかで、どうして、こんな洗練された味のリキュールが出てくるのだろう、と考えて頭が混乱した。
大陸南部の欧州の人間にとって、世界と和解するのは簡単なことなのであると思う。
自分が20歳でも60歳でも、事情はあまり変わらない。
どんな場合でも、たとえ自分が80歳でも40歳以下であろうとするアメリカ人とは、そもそも「人間」というものについてもっている思想が異なっている。
(そのアメリカ思想の非人間性をハリウッド女優の立場から描いたRosanna Arquetteの「Searching for Debra Winger」
http://en.wikipedia.org/wiki/Searching_for_Debra_Winger
は、素晴らしいドキュメンタリだった)
土曜日の夜に、人混みがだんだん濃くなってくる夜更けの街の通りで、ヴァイオリンやチェロや、アコーディオン、ギター、思い思いの楽器を手にとって演奏しているひとたちの前に、ひとり、ふたり、と現れてしばらく足拍子や手拍子で調子をとってから踊り出す。
やがてそれが十数人の群舞になって、夜っぴいて踊る。
そうして、夜空に消える歌声や、地面を蹴って身体に伝わる振動が魂をつきあげたあとでは、彼女あるいは彼は、すでに世界と和解しているのであると思う。
沃野としての世界_1 | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日
カッチョエエなぁ・・・
(via odakin)(via deli-hell-me)
